【質問】 初めまして、高1女子です。 電子体温計について質問があります。 新しく電子体温計を購入して説明書をみたら、 「引火性のある環境では使用しないでください 引火又は爆発の誘引となる可能性があります」 と書いてありました。 電子体温計は、計るときに電気?が発生しているのでしょうか? 微弱な静電気のようなものが先端で発生しているのかなと想像したのですが 気になるのでもっと詳しく知りたいです。 また、爆発するほどの「引火性のある環境」って、どういう場所でしょうか。 ガスが充満しているとか…?日常的にあまり考えられないような気もするので、 想像がつきません。 それと、飛行機の中に電子体温計を持ち込んではいけないと、母が言っていました。 本当ですか? 本当だとしたら何故でしょうか。電子体温計が発する電気って、そんなに 影響力があるのでしょうか… あれこれ質問してすみません。 とても気になっているので、ぜひよろしくお願いします。 【回答】 身近でよく使う製品についての質問ですがいろいろな重要な要素を含んでいる質問だな,と感心しました。 ① 燃えるとはどういうことか, ② 火がつくとはどういうことか, ③ 温度を測るとはどういうことか, ④ 水銀体温計と電子体温計の違いはどこか, ⑤ そもそも電子体温計はどういう仕組で働いているのか, などなど。ここでは主に①と②に関して考えてみることがよいと思いました。 質問者さんは,「引火」と「爆発」という言葉を用いていますね。「引火」と似た言葉に「発火」と いうものもあります。まずこの2つから整理しましょう。「引火」も「発火」も,ものに「火がつ(点,着)く」ことです。 物質の性質の引火温度,発火温度は両方とも「火がつく温度」ですが「つき方」が違うのです。例えばエタノールを例に考えましょう。エチルアルコールとか酒精とか呼ばれるアルコールです。このエタノールの引火温度は14℃(密閉[容器]中),16℃(開放下)で,発火温度は390〜430℃です(化学便覧改訂第3版,基礎編1,丸善)。ものに火がつくことから「燃焼」が始まります。そもそも燃焼(燃えること)とは?それは「もの」(物質)が酸素と反応して酸化物を作りながら分解していく状態をまとめて指します。ものは,水や二酸化炭素などの酸化物の小さい分子へとバラバラになっていくのと同時に,その周りにエネルギーを放出します。そしてこのエネルギーを,まだ酸化されていない「もの」がもらって元気になり酸素と反応しやすくなって,「酸化→エネルギーの発生→酸化→エネルギーの発生→…」と続いて,全体の酸化反応が勢い良く広がる状態が燃焼です。「引火」というのは「火種」によって燃焼が引き起こされるものです。ライターで火が点く状況を想像してみてください。ライターでは指でギザギザの輪を押し回すと,火花と一緒にガスが出てきて,それが燃え始めて炎になると,指で押したままにしてガスを出し続けている状況で炎が出続けます。 一方,「火種」が無くてものが燃え始めることを「発火」といいます。「もの」が熱くなって,「火種無し」で自然に火がつくことです。加熱だけで「もの」に火がつくには物は相当大きなエネルギーを持つ必要があります。そのためエタノールでも「火種無し」に火がつくにはものすごく高い温度が必要になります。 それに比べると「引火」が起こる温度はかなり低い温度です。「引火」は「もの」のうち,気体になっている部分,蒸気に火がつくのです。火が微小な部分でついて燃え始めたとしましょう。この場合,燃料が供給されなければ消えてしまいます。ライターの例でも分かりますね。押し込み部分から指を離すとすぐ火は消えます。エネルギー(主に熱)を受け取る仲間が近くにいないとエネルギーは雲散霧消してしまうのです。従ってある「物体」に火がついてそれが継続的な反応になるためには空間的にある程度以上密接して「もの」が居る必要があります。すなわち,一定以上の「濃度」が必要です。液体が気体になる量は温度と圧力で決まり,大体温度が高い方が気体になっている量は多くなります。1気圧の下,液体の物質がそこから出てくる気体と平衡になるときの濃度がその温度での「飽和蒸気圧」と呼ばれるものです。つまり,「引火温度」とは,「火種」があるときにそれによって物質の燃焼が継続するようになる最低の濃度の値と「飽和蒸気圧」とが等しくなる温度ということになります。実は濃度は高すぎても引火しないのです。今度は酸素の供給が追いつかなくなってしまうからです。その時は酸化が途中まで進んだ物質ができるなど起こります。この辺り大事なことですが,もう少し勉強してからの話ですね。 ところで,「引火」と似ている,「爆発」という言葉も整理してみましょう。これは必ずしも火が関わるわけではないのですが,急激な気体体積の膨張を伴う物質の分解です。必ずしもすべての爆発において物質そのものの変換が起こることばかりではないのですが,分子レベルでの状態の変化が起きていることは例外のないことですから,化学の世界の営み,ということができるでしょう。爆発の中で最も威力のあるケースは固体の爆発です。体積増加率や増加速度は凄まじく,爆薬に固体粉末が使われるのがわかると思います。 可燃性気体が滞って,ある場所に溜まったようになって濃度が高まってしまったとしましょう。そこに火種が来ると強烈な燃焼が起きる可能性があります。燃焼による爆発です。可燃性のガスが充満している部屋で鍵など金属が触れ合って火花が発生し爆発が起きた,という話は聞いたことがあるでしょう。この場合は急激な燃焼による爆発です。ただ,この場合濃度が高過ぎると爆発は起こらなくなります。つまり,爆発が起きる下限値の濃度と上限値の濃度があるのです。酸素量との兼ね合いです。自動車のガソリンエンジンも「気化したガソリンと空気をシリンダーに送り込み,圧縮してプラグ点火→瞬間膨張」を繰り返すものでから爆発の一種でしょう。この混合割合,タイミング,温度などを精確に制御して,ものすごい速さで行っているわけです。 日常生活環境で引火性のある場所というと,ガソリンスタンドなどの「火気厳禁」と示されている場所,暑い日で液体燃料の容器がパンパンに膨らんでいるような状況が想定されます。メタンガスが地中から出ているところも稀ではありますが存在しますのでその辺りも気をつけるところでしょう。今後水素ガスの利用が進んだ時にはまた対策は必要でしょう。 冷蔵庫のような密封性のよい場所で可燃性の液体が気化してある濃度範囲に入ると危ないことになります。よく知られた例ですと,ジエチルエーテル,メタノール,エタノールなどは冷蔵庫に入れてはいけない溶剤です。このような溶剤を普通の冷蔵庫にいれておくと,蒸気が爆発範囲の濃度になり,冷蔵庫の電気回路のON-OFFの時に爆発が起こる可能性があるとされています。現在の化学系の実験室では,それを防ぐために防爆型冷蔵庫を使うことが広まっています。 このように化学系の学科をはじめ,人工的な物質・材料を扱う工学部では,いろいろな面から災害や事故を防ぐ安全工学の勉強もします。それは「マニュアルに従う」というよりも「know why」という,理由を学び,その知恵を駆使して事故リスクを低減するという考え方・方法論に基づくものです。これまでに知られていない新しい材料や物質を実験的に探求することは予想もしないことに遭遇することもあります。そこから得られる知的実用的利益とリスクを両睨みしながら研究研鑽を行っているのが現在の工学部,特に化学系・材料系です。ここで使われている考え方,ぜひ日常生活でも役立つところは活用してもらいたいと思っています。 さて,さて「引火」の「火種」にはどんなものがあるでしょう。炎は当然,火花,放電も火種になります。電気回路が閉じてカチッとなったときも火種になります。恐らく電子体温計ではスイッチをONにした時の接続で電気が流れ始めることが火種になるのだろうと思います。これは最初に挙げた③〜⑤に絡むのですが,「物体の温度を計る」ときには「物体」と「温度計」が同じ温度になる必要があります(平衡に達した時の温度;平衡温度)。「物体」と「温度計」という②つの物体が同じ温度になるためには長い時間がかかります。電子体温計では肌に触れた部分(検温部)がサーミスタセンサという温度に依って抵抗値が変わる材料で「温度に関する情報」を得ます。そして,その情報の値の変化の仕方から平衡温度を「推定」しているのです。この方法で水銀温度計では随分長い時間脇の下に入れてじっとして待っていたのが,短い時間ですむようになったのです。電子体温計は体温用に特化したのと同時にこの「思考」をするためにエネルギーが必要なのです。私達が頭脳で大量のエネルギーを使うのと同じですね。このための電池からの電流のON–OFFが火種になり得ると懸念されているのだと思います。 最後の質問の「電子温度計は飛行機内に持ち込めない」ということは現在特に適用される規制ではないようです。航空会社にも問い合わせましたが同様の回答でした。リチウム電池やリチウムイオン電池は持ち込み禁止の対象になることもあるのですが,それはもっと大きな電池の場合です。でも先の尖った器具ですから,機内では不必要に取り出さないほうがよいことは確かでしょう。お母さんもそういう主旨で注意されたのではないかなと推測します。 |